新型コロナウイルスをきっかけに、EC流通金額は劇的な増加を続けています。この生活者のEC移行に伴い、企業側のデジタル変革の必要性も増してきました。
一方で、ECサイトの立ち上げやWEB広告の強化など施策レベルの強化に留まり、ビジネスモデルや顧客体験全体のデジタル変革に着手できておらず、期待する成果を出せていない通販企業も少なくない状態です。
そこで今回アライドアーキテクツでは、成長を続けるEC業界の最前線を走るディノス・セシール、アスクル(LOHACO)の2社をお招きし、デジタル変革が求められる今、通販企業が実行すべき「デジタルの売り場作り」や「顧客体験」の施策設計などをお聞きするセミナーを開催しました。今回は、そのセミナーレポートを前後編の2回に分けてお届けします。
前半では、両社が考える「DX」の価値や、実際の事例をお話しいただきました。
モデレーター
・株式会社シンクロ 代表取締役CEO 西井敏恭氏
パネリスト(五十音順)
・株式会社ディノス・セシール 経営企画本部 CECO(Chief e-Commerce Officer)石川森生氏
・アスクル株式会社 取締役執行役員 輿水宏哲氏
印鑑や紙をなくす…、それは本当にDX?今の時代の通販に求められる変化とは
モデレーター/シンクロ西井氏(以下、西井氏):今日はディノス・セシールとアスクル(およびLOHACO)の経営に関わるお二人をゲストにお招きしました。実際にお二人が取り組まれている事例をお伺いしながら、DXについての議論を進めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
まず今の日本のDXの状況についてです。2020年はDXという言葉が非常に多く聞かれた1年でした。しかしながら、マッキンゼーが企業の経営幹部に対してリサーチした調査結果によれば、日本では「デジタルは有望な次なる一手になる」と認識されているにも関わらず、まだデジタル推進の準備ができておらず思い切った改革が進んでいない現状が浮かび上がってきます。
その背景には従来の「デジタル改善」と「DX」の違いが理解されていないこともあります。
今までの「デジタル改善」は、あくまで従来のビジネスモデルや運用の仕方を維持した上で、その一部をデジタル化していくものでした。そのため業務の一部を外部ベンダーにアウトソースしたり、社内でもデジタルの専門部署が部門内でデジタル化を進めたりすることが一般的でした。
一方で「DX」では組織やプロセスなど全範囲においてビジネスモデルやサービスそのものを変えていくことが期待されています。そのため、経営層がリード、全社横断して改革を進め、全社員がデジタルに関する理解を高め、業務もできるだけ内製化していくのが目指す姿です。
最低2~3年はかけながら、収益率に対して数十パーセントの成果を出すものにしていくべきです。
しかしながら、今の日本では、まだまだ印鑑や紙をなくすことを「DX」と呼んでいたりします。それは確かに従来の業務プロセスを改善するものではありますが、今世界で行われているDXのごく一部でしかありません。
今日お話ししたいのは、EC成長のためにDXをどう推進していくべきか、デジタルをどう活用しなければならないかについてです。今日ゲストにお招きしたお二人は、集客、売り場、CRMなど様々な場面にデジタルを取り入れることで、顧客体験全体の向上に注力していらっしゃいます。今日はぜひ色々な事例をお聞かせください。
DXとは、データとテクノロジーを活用して新しい顧客価値を創造すること
西井氏:ではまず輿水さんから、アスクル/LOHACOではどのようにDXを進めているのかお話いただけますか?
アスクル輿水(こしみず)氏:今日はよろしくお願いします。アスクルは法人向けの通販事業を行っている会社ですが、私はその中で個人向けに日用品の通販を行うLOHACOを管掌しています。LOHACOは2012年のサービス開始から約8年になり、現在は年商約500億円に成長しています。
私は、EC事業者におけるDXを「データとテクノロジーを活用してバリューチェーンを変革し、新しいお客様価値を創造すること」だと捉えています。DXをしようとしてDXをするというよりは、ビジネスにおいてより優位な立場に立つためにはITの領域を改革するのが一番伸びしろがある、だからDXを推進するという順番で考えています。
LOHACOでは商品開発から調達、販売、物流の一部、問い合わせまで一貫して自社で行っており、それぞれのプロセスで提供しているお客様価値は「欲しいものがある」「納得できる価格で買える」「早く届く」「安心品質」等であると定義しています。そして、当然、会社の組織ですので、これらのプロセスにそれぞれの担当部門があり、それぞれのKPIを追いかけています。
ただし、そうするとどうしても部門ごとに施策を考える体制になりがちです。しかしながら、一つ一つの価値を磨き上げて大きな成果に繋げていくためには、部門を超えて横断的に取り組んでいかなければならないと感じています。
この考えのもと、最近進めているのはエンジニア人材の強化です。従来は開発のほとんどを外注していたため、小規模な開発でも数か月かかるのが当たり前のような状況でしたが、現在は内製のエンジニアが増えてきたので、開発をスピーディーに進められるようになってきました。
また、開発部と事業部を一体化するようにも努めています。開発やITの部門と事業部門を別の組織にしてしまうと、どうしても社内で受発注の関係になってしまいがちなためです。例えば、開発部門が工数で評価される場合、100人月もの工数がかかる大きな開発をやりきったらそれは大きな成果になりますよね。一方で、その開発は本来は事業にインパクトを与えるため、お客様によりいい価値を届けるために行うものだったはずで、その目的を果たさない限りは良い開発だったとは言えないはずです。そのため、部門間を連携し、全員が事業に対して同じ方向を向いて仕事ができるように改革を進めているところです。
大手もベンチャーのスピード感を意識するべき
西井氏:ありがとうございます。石川さんはDXをどのように捉えていますか?
ディノス・セシール 石川氏:ディノス・セシールはカタログ通販やテレビ通販から始まった会社です。現在は、ECの割合が大きくなってきており、年商1,100億円の内約6割がEC経由の注文になっています。私は、紙の通販から始まったこの会社のデジタル改革をミッションに、2016年からこの会社にジョインしています。
私がDXに対して思うことは、ディノス・セシールもベンチャー側のスピードを取り入れていかなければならないということです。私は現在とあるD2C企業の取締役も務めていますが、その業務の中で、ECショップを作るカートシステムもMAツールなどのマーケティングソリューションも月額数十ドルくらいの低価格で高機能のものが揃ってきていると実感しているんです。企業がプロダクトそのものやマーケティングに時間や経営資源を集中できる環境が整ってきていると感じています。
ですから、大企業からすると「DX」と言っていることが、スタートアップのベンチャーにとってみては、そんなのを全部すっ飛ばして当たり前になっているのかな、と。その差はすさまじいものがあると感じています。
もちろん大手には大手としてのよいところ、元々もっているパワーや社会的役割などがありますし、必ずベンチャーと同じ戦い方をしなければならないわけではありません。また、結果として大手の方が早く目的地にたどり着くこともあると思います。ただし、このベンチャーのスピード感は意識しておかねばならないと感じています。
LOHACO事例1:データ×テクノロジーを活用した「売らないマーケティング」でコロナ禍の買い占めに対応
西井氏:ではここからは各社の事例をお聞かせください。まずは輿水さんからお願いします。
輿水氏:法人向け通販アスクルの「売らないマーケティング」の事例をご紹介します。この事例は、日経BtoBマーケアワードで大賞とブランディング賞の2つの賞を同時受賞いたしました。
2020年の春に政府から緊急事態宣言があり市場からマスクや消毒液が消えたときのことです。弊社は従来から多くの医療機関様ともお取引がありますので、これらの商品をどうご提供していくかが課題になりました。当時、需要がものすごく増えておりお客様からのオーダーに応えきれず、どのようなご提供方法にするべきかを考えるなかで、この「売らないマーケティング」の取り組みに至りました。
この取り組みは、クリニックや介護施設、教育機関などのお取引先が、過去にどのような商品をご購入いただいていたのかの情報をもとにして、取引先毎に「この商品をこの数量だったらご購入いただけるので買ってください」というメールを個別にお送りし、その分は買っていただけるようにしたものです。普通は商品を売るためのマーケティングをしますが、売りすぎないためのマーケティングをするというユニークな経験でした。なお、この仕組みは社内エンジニアが約3週間で作ったものです。社内で内製する体制を整えていたからこそできたことなのかな、と思います。
この取り組みを通じて出来る限り既存のお客様の期待に応えながら、新規の医療機関からの注文も受けられる仕組みを構築することができました。さらに、この取り組みはその後経済産業省と厚生労働省が実施した消毒液の優先供給スキームにも活用されましたので、これも一つのDXの事例と言えるのではないでしょうか。
西井氏:コロナ禍でのマスクや消毒液の供給不足は今までにない事態でしたね。買い占めを防ぎ、必要なところに必要なものをできるだけ供給する素晴らしい仕組みだと思います。これはまさにデジタルを活用しないとできないことだったとお考えですか?
輿水氏:そうですね。例えば、リアル店舗を構える小売店では既存のポイントカードの会員の方だけ購入できるようにする、入荷時間を未定にしてランダムな時間にお店に物を置くようにするなどの工夫をされたところもあったと聞いています。しかし、それではやはり転売目的のお客様を止めることは難しいのかな、と。ですので今回の「売らないマーケティング」はデジタルならではの施策だったと思います。
ディノス・セシール事例1:ECと紙をリアルタイムで連携「カート落ちDM」
西井氏:では次に、石川さんから事例のご紹介をお願いします。
石川氏:私がご紹介するのは、ECと紙をリアルタイムで連携させた「カート落ちDM」の取り組みです。第三十三回「全日本DM大賞」でグランプリを頂きました。
私は、CECO(Chief e-Commerce Officer)という肩書で入社しましたが、もともとEC化率そのものはあまり意味がないと思っているんです。EC化率を伸ばしたいだけであれば、例えば「申込みをウェブでしていただければ1万円引き」といったインセンティブを付ければ、受注のチャネルそのものを移動することは不可能ではありません。また、ウェブを伸ばすことで受注コストを下げることができますので、EC化率の向上は経営目線で見ると良いことですが、EC化させることそのものが、お客様にとって本当に良いことなのかというと疑問だな、と。
また、ディノス・セシールに入る前は、リアルの顧客との接点を持たずECだけをチャネルとするビジネスをやっていましたが、リアルのインフルエンス力と比べるとデジタル上の活動は微々たるものだと感じていたんです。ECに閉じたノウハウを年商1,000億円もあるディノス・セシールのビジネスにそのまま適応してもどれだけ価値を出せるのか、甚だ怪しいと思っていました。
ではデジタルの価値って何だろうと考えたときに、やはり「デジタル」「リアル」と縄張りを張るのではなく、デジタルを既存の購買の流れに差し込むことで、既存のビジネスをエンハンスすることなのではないかと思いました。そうすることで、初めて年商1,000億円のサービスにデジタルを差し込む価値が出るのではないか、と。
このような考えのもと、ずっと温めてきて実現させた企画が、このECと紙をリアルタイムで連携させた「カート落ちDM」の取り組みです。「カート落ち」したお客様をデジタル上でフォローする取り組み(例えばカート落ちしたお客様にパーソナライズしたメールを送るなど)は従来より当たり前に行われてきましたが、この「カート落ちDM」はそれを紙で再現したものです。メールでリーチできないお客様には紙でアプローチしよう、という発想でした。
この取り組みでは、最新のデジタルソリューションを活用し、カート落ちしたお客様へ最短24時間以内にパーソナライズしたDMを印刷し発送します。通常は、ハガキのDMを企画・デザイン~印刷するまで2週間くらいはかかりますが、「カート落ちのハガキ」が2週間後に届いてもあまり意味がないですから、goofというデジタル印刷のプラットフォームサービスを持つ会社と連携し実現しています。将来的にはお客様に一番近い場所にあるデジタルの印刷機を回すことで最も早いタイミングで送付できるようにしたいと思っています。
ハガキのデザインは、Webサイトでカートに入れた商品の案内がハガキのDMで届くことに抵抗を覚えるお客様がいる可能性を考慮し、オファー部分を従来の「カート落ちメール」に比べて控えめにする工夫をしました。あくまで「オススメ商品をお伝えしている」というテイストのコピーや見せ方を行っています。また、カート落ちした全員にこのDMをお送りするのではなく、さまざまなセグメントに合致した方にお送りするようにしています。
その結果、DMを送った顧客はDMを送らなかった顧客に比較してコンバージョン率が約20%上がり、単発施策としても投資回収できるまでの施策となりました。
正直、最初はこの施策単体ではROIが合うと思っていませんでしたし、またお客様目線で考えても少し気持ち悪い施策かもしれないとも感じていました。それでもこの施策を実施した理由は、自動化されているCRMの中で一番短いスパンのシナリオに紙を差し込むことができたら、その他のシナリオにも紙が使えることが証明されると思ったからです。一番最初に技術的にもオペレーション的にも最もハードルの高いものをクリアしようと考えました。
西井氏:デジタル体験をオフラインにも差し込んでいく取り組みとして、「これが実現できれば次もできる」の一発目だったというところが大変面白いなと思いました。できそうなところからやるのではなく、一番難しいところからやるという発想なんですね。
また、施策のスピード感も素晴らしいと思いました。通常、紙の会報誌は6ヵ月前から作成を開始し2ヵ月前には原稿をフィックスするようなスケジュール感で動いていますが、お客様が今欲しいものと前欲しいものは違ったりしますからね。
ディノス・セシール事例2:ファッションAIを活用、パーソナライズした「小冊子DM」
石川氏:次にご紹介する事例は、ファッションAIを活用し、パーソナライズした小冊子DMをお送りする取り組みです。
例えば表紙は過去にお買い上げいただいたお洋服の写真にする、冊子の中身にある商品もSKU単位で「過去にピンクのスカートを購入された方にはピンクのスカート」を掲載するなど、顧客ごとにパーソナライズして自動的にDMを送付する仕組みを構築しています。また、この冊子には、顧客が購入した商品に似たアイテムを着こなしているInstagram写真も掲載しているんです。ファッションAIを活用し、その方の好みと似たInstagram写真をニューロープ社が持つ技術を用いて自動的に抽出し、コーディネート提案を行っています。掲載には、もちろんユーザー許可が取得されている写真を利用しています。
従来より、紙のカタログやDMは中身の刷り分けもせいぜい何パターンかしかできないにも関わらず、大変大きなレスポンスがあったのです。やはり、紙はすごいな、と。デジタルの良いところと紙を掛け合わせれば、一体どれだけのレスポンスがあるのかという興味があって実施しました。
その結果、カタログに対するロイヤリティが上がりづらいWebサイトの顧客層のレスポンスが約10%アップする成果につながりました。
西井氏:たしかに、最近メルマガの開封率はどんどん悪くなっていますからね。一方で、月に一回の会報誌はとんでもなく大きな売上につながったりしますから、やはり紙から伝わる力の強さはとても強いですよね。両方の良いところを取り入れている施策だと思いました。
LOHACO事例2:データ×テクノロジーを活用し、同梱するチラシ・サンプリングをパーソナライズ
西井氏:LOHACOさんもパーソナライズを実施していらっしゃいますか?
輿水氏:はい。ウェブサイトでももちろんパーソナライズを実施していますが、お客様にお届けする商品に同梱するチラシやサンプリングもパーソナライズしています。
例えばショッピングセンターなどでサンプリング品を配布することもあると思いますが、ある程度のセグメントはできるとしても誰が取るか分からないですし、反応率も分かりませんよね。LOHACOの場合は、ターゲティングした上でサンプリング品をお届けするだけでなく、お配りしたお客様がどれくらいリピートしたか、お届けしていないお客様と比較してどれくらいリフトしたかまでデータとしてメーカー様にお返しする取り組みを実施しています。
また、メーカー様のご希望があれば、あるブランドをLOHACOで初めて購入されたお客様だけに特定のチラシを入れる対応等もしています。例えば、購入された方全員に15%オフのクーポンをお配りしてしまうと、ブランド毀損の可能性もありますしコストもかかってしまいますが、特定の方にだけクーポンをお配りすることで、ブランドを守りながらコストも抑えることができます。
西井氏:サンプリングは多くのメーカーさんが実施される施策ですが、色々な店頭にサンプルを出しても効果があったのか分からないまま止めてしまうことも多いですよね。「しっかりお客様を追いかけられる」というデータの特徴を使いながら、オフラインの施策にもつなげていらっしゃるんだなと思いました。
パーソナライズチラシの印刷や同梱はどのように行っているのですか?印刷されたものを倉庫に用意しておき、ピッキングする流れでしょうか?
輿水氏:実は、納品書ごとにパーソナライズして印刷できるようにしているんです。そうすることでピッキングコストも抑えることが可能です。
西井氏:実は私も前職で納品書のオンデマンド印刷をしていたんです。納品書って、開封率ほぼ100%ですよね。そこに事務的なものだけ入っているのはもったいないので、そのスペースをなるべく活かそうと思って実施しました。
石川氏:私たちも、その場でオンデマンド印刷をかける取り組みを始めています。「紙のアドネットワーク」のようなことができないか?と考えているんです。最近デジタル広告で縦長のバナーが一般的になってきたように、メーカーさん側に紙の広告フォーマットを数種類用意いただければ、弊社が持っている顧客データとぶつけて、こちら側で最適なものを自動的に判断して紙で出していける仕組みも作れるのではないかと考えています。
両社のさらなる事例や今後のDX推進への展望が語られたパネルディスカッションの後編記事はこちらから
▶デジタル化による顧客体験向上がカギ。ディノス・セシール、LOHACOが実践するDX事例【ECデジマ談義 #5 セミナーレポート・後編】