広告はパーツになりむにゃむにゃしたコミュニティの入口になる(ハフィントンポストに書いたことの続き)

 
*本記事は「クリエイティブビジネス論」からの寄稿記事です。
 
7月1日にハフィントンポストに初めて寄稿した。ソーシャル関係の身内の皆さんのサイトにはよく転載してもらうけど、こんな一般メディアにオリジナル原稿を書くのはなかなかないことなのでけっこうドキドキした。そしたらたくさんの人に読んでもらえたようでコメントもついてさらにドキドキした。コメントもらうと何をすればいいのかわかんなくなっちゃうね。
 

 

“Socialize” by gkwan_


 
ところであの記事はちょっと中途半端でもある。なぜなら、ホントはもっと長いのを半分に切っちゃったのだ。文字数を気にせずだらだら書いてたら長ーくなっちゃってね。
そこで今日はここで、続きを掲載しようと思う。だから読んでない人はこのリンクからハフポストの記事を先に読んでもらった方がいいかも。
※参照記事
もう消費者なんていない時代に、広告は広告でいいのだろうか。
http://www.huffingtonpost.jp/osamu-sakai/post_5083_b_3526742.html
 
ソーシャルメディアが、21世紀に入ってからまるでタイミングを見計らうように登場したことは、考えると不思議で仕方ない。だが我々が消費に冷めきってしまい、消費に対応してきた広告が立ちすくんでいる時にソーシャルメディアはやって来た。なんとよくできたストーリーだろうと思う。
ネット上のメディアは、これまでのマスメディアとは敵対してきたように見える。とくに新聞雑誌などの紙メディアはネット上のメディアに明らかに力をそがれてきた。だがソーシャルメディアはかなり意味合いが違う。ソーシャルメディアの登場によって初めて、マスとネットは融合できる可能性が見えてきたのではないだろうか。
そのソーシャルメディアも、これまでは既存の広告とは壁があったようだ。何しろ出自が違う。プレイヤーが違う。何より企業の部署がそれぞれ違う。ついでに広告代理店でも部署が違ったり、そもそも担当できる人材がいなかったりした。
 
そんな段階もどうやら終わりで、次のステップに向かいそうだ。前回の原稿で、メディア界が新しい姿に向かって再構成しはじめたと書いたのも、そのことを言っていたのだ。これから、既存メディアとソーシャルメディアの融合、連携、同一化がぐいぐい進んでいくと思う。テレビが、ラジオが、新聞雑誌が、そしてWEBサイトでさえ、ソーシャル化していくだろう。ソーシャルに取って代わられるのではない。そうではなく、ソーシャルに包まれるのだ。ソーシャル的な要素がしみ込んでいくのだ。そして何やら全体的にひとつに溶け合ってむにゃむにゃした存在になる。これまでのメディアは輪郭のはっきりした、各ジャンルの壁を越えられないものだったのが、ずるずると境界を越えてメディアの分類を曖昧にし、ゲル状のアメーバみたいなものになる。

なんとなく思いつきで図にしてみたが観念的すぎてかえってわかりにくいかもしれない、ごめんね。
こういう方向に再構成されるとしたら、モノを買うことにめちゃめちゃ慎重になっている人びとに何をどうすればいいのだろう。このむにゃむにゃしたゲル状の中に、人びとを引きずり込んでいくのだ。アメーバのモンスターのように粘液でつかんで離さない、なんてことではなく、いつの間にかむにゃむにゃの中で過ごしてた、的な状況を作り出すのだ。このむにゃむにゃは、コミュニティと言い換えられるのだろう。
 
これまでの広告は、日々の暮らしの中に突然乱入してきて「これいいっす!すげえいいっす!」と叫び続けるのが基本姿勢だった。でも消費に冷めた人びとには、そんなことだけでは効かない。代わりに、楽しそうなコミュニティをむにゃむにゃと作り上げるのだ。そしてその楽しさをなんとか感じてもらえるような接触を試みる。楽しそうだなあ、ぼくも輪の中に入ってみようかなあ、どうしようかなあ。そんな気持ちになってもらう。
輪の中に入ってもらって、他の人びととも交流してもらって、ついでに商品も買ってもらって。そんなことが広告の役割になっていくだろう。そしてそうなると、それは広告なのか何なのかわからなくなる。少なくとも、これまでで言う広告(=マスメディアの力で認知を広げること)は、重要だが一部の役割になっていく。広告を含んだ、全体的なコミュニケーションとしか言えないようなむにゃむにゃしたものが、今後のマーケティングに必要になるのだ。
広告はそのむにゃむにゃの中で、人びとを振り向かせ、ソーシャルメディアに誘導し、コミュニティに加わってもらう入口の役割を担うのだろう。
 
こうなるとコミュニティをどうつくるか、どう運営するかが大事だし、その前提でマスメディア上での表現を考えた方がいいのだろう。
というか、こうなると広告は広告と呼ぶべきなのだろうか。マーケティング活動の中でのメディア上での一連の作業を広告と呼んできたが、モノを売るためのコミュニケーションを広告だとするとそれはもう広告ではない。広く伝えることは一部でしかないからだ。
 
ぼくたちは新しい言葉を持たねばならないのだろう。消費者ではなく、生きるためにモノを買う人びとを何と呼ぶのだろう。広告ではなく、モノを買ってもらうに至るコミュニケーション活動全体を、どう表現すればいいのだろう。みんながすんなり受けとめられる言葉が見つかる時、メディアの世界は新しい地平を見いだす。そんな作業がいまはじまっているのだと思う。
かく言うぼくも、そんな作業の担い手となっていきたい。ご興味ある方は、ご遠慮なくメールしてください。
コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家
境 治
sakaiosamu62@gmail.com
 
 
 

SMMLabでは、マスメディアの代表であるテレビが、今後ソーシャルメディアとどのように影響しあうのか、企業のマーケティング活動をどう変えていくのかに注目し、「ソーシャルテレビ推進会議」の公式サイト「ソーシャルテレビラボ」及び、発起人である境 治氏のブログ「クリエイティブビジネス論」からの寄稿記事を、SMM Labが一部編集してご紹介しています。
 
ソーシャルテレビラボ http://socialtv-lab.org
クリエイティブビジネス論 http://sakaiosamu.com/
 
<ライター紹介>
境 治 (Osamu Sakai)

メディア・ストラテジスト。1987年、東京大学を卒業し、広告代理店I&S(現ISBBDO)に入社してコピーライターとなる。92年、TCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞を受賞。93年からフリーランスとなりテレビCMからポスターまで幅広く広告制作に携わる。
06年、映像制作会社ロボットに経営企画室長として入社。11年7月からは株式会社ビデオプロモーションでコミュニケーションデザイン室長。この7月から再びフリーランスで活動。
著書『テレビは生き残れるのか』
ブログ「クリエイティブビジネス論」:http://sakaiosamu.com/
ツイッターアカウント:@sakaiosamu
メールアドレス:sakaiosamu62@gmail.com
 
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